室町中期に奥州探題を命じられた畠山満泰が築城し、畠山氏歴代の居城として140年余り続いた後、天正14年(1586)伊達政宗の執拗な攻撃により落城した。

豊臣時代には会津領主となった蒲生氏郷の重要な支城として、中通り(仙道)警備の任を与えられ、頂上の本丸やその周辺に石垣が積まれ、近世城郭として機能し始めた。

寛永20年(1643)二本松藩が誕生し、白河藩より丹羽光重公が10万石で入城し、幕末まで10代続くが、戊辰戦争で西軍に徹底抗戦し、城内や家中屋敷のすべてを焼失。7月29日に落城した。


2013年現在、霞ヶ城公園の「本丸跡」は震災復旧により立ち入り禁止になっている。

通称、呼び名 霞ヶ城、白旗城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 二本松満泰
築城年 室町中期
主な改修者

丹羽光重

主な城主

二本松氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏

遺構

天守台、石垣、堀  再建:箕輪門、附櫓

指定文化財

国史跡

電話番号 0243-23-1111
費用

無料 

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