岩槻城 / 埼玉県


この記事は2013年2月 8日あも様に投稿して頂きました。

岩槻城は太田道灌が築城したと言われ、上杉方の重要拠点とされていたが、後北条が勢力を拡大すると争奪戦の舞台となり結果、北条家の直轄となった。城は大改修されるも小田原の役で2万の軍勢に囲まれ降伏開城した。江戸時代には高力清長が2万石で入り、以来、幕府要職に就く譜代大名が入封した。

本丸・二の丸・三の丸等の城の中心部のある主郭部、その周囲を取り囲む沼の北岸に位置する新正寺曲輪、南岸に位置する新曲輪という、3つのブロックから 構成されていた。大きな沼に囲まれていたことから水に浮かぶように建っていたと言われる。


城の概要

通称、呼び名 岩付城、白鶴城、浮城
城郭構造

総曲輪式平城

天守構造

不明

築城主 成田正等
築城年

1478年(文明10年)

主な改修者

後北条氏

主な城主

成田氏、太田氏、後北条氏、大岡氏他

遺構

現存門、土塁、曲輪、空堀

指定文化財

なし


インフォメーション

営業時間

自由

電話番号 048-757-4111
定休日

なし

費用

無料



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